■3人の子どもたちの進路はどうして決まったか
3人の子どもたちは医師、歯科医師になりました。医師になれ、歯科医師になれと言ったことは一度もありません。結果的に3人とも私と同じ医療の分野で生きています。

沢田内科医院長男の直也は私の姿を見て自然に医師になろうとしたようです。ただ、直也が書いた物(ニュースレター第116号参照)を見ると私がとにかく家にいないことで、何か世の中のためにやっているようだという感覚だったようです。勤務医時代は今ではブラック企業と言われそうですが、夜は遅いし夜間も休日も病院から電話が来ると出かけます。子どもたちと出かける時は当日の朝にどこへ行くかを話して出かけることがほとんどでした。休日にどこかに行こうかと子どもたちと約束ができないのです。何日も前から話をして期待を持たせても子どもたちとの約束を破ることになるのですから。直也はこんな親の姿を見ても医師になる道を選びました。

アローデンタルクリニック長女の愛は、医師になる気持ちで勉強していました。高校2年生の時、近くの歯科医院へ通院していました。そこの歯科医院には後を継いだ活動的な若い歯科医と暇なおじいちゃん先生の二人の歯科医がいました。愛は暇にしているおじいちゃん先生をいつも指名していたようで、治療が終わった後で歯科についていろいろ話をする機会があったようでした。そんなある日、愛が突然、「私、歯学部へ行く!」と。これで進路は決まりでした。岩手医大には歯学部を卒業後に医学部へ転部(М転というらしい)できる制度がありました。愛は、大学側から医学部へのМ転の話をされたようでした。しかし、「歯科医師になりたくて入ったのに、なんで医学部なの!」と憤慨していましたので、歯学部へ行ったことは後悔していなかったことが分かりました。今は、札幌で歯科医院(アローデンタルクリニック)を開業しています。

沢田歯科クリニック祐也は高校2年生で進路が決まっていませんでした。いろいろ話をして、ある意味で消去法で残ったのが兄と姉が進んだ医療分野でした。四中を卒業して弘前南高校へ進んだ。中学校での模擬試験の結果をみると弘前高校にも余裕で入る実力があった。そこで、「弘高へ行って下位で過ごすのと、南高校で上位にいるのはどっちがいい?」という親の提案に、「南高校へ行く」となった。さて、消去法で選んだ歯科医師への道。いろいろ検討の結果、推薦で歯学部へ入る作戦を立てた。推薦で入るには入学試験ではなく普段の教科の成績を良くしなければならない。この結果、担任の化学の先生からは、「化けたな!」と言われ、目標の歯学部へ推薦で入った。さて、消去法で選んだ歯科医師への道。入学すると成績は下から数えた方がずっと早い。もう少しで留年するという瀬戸際に追い込まれ勉強を始めたらしい。留年など無駄なことはしていられないと。勉強するとその面白さが分かる。結果、卒業時点では上から一桁の優秀な成績だった。私はそれまで卒業式というものに出席したことがなかった。子どもたちの最後の卒業式なので横須賀まで出かけて行った。成績優秀者に祐也の名前はなかった。出身高校を見ると弘前南高校などという公立高校の名前は少なく、何とか学園とか学院など私立高校の名前がずらり。祐也には「100番台の学生が一桁で卒業したのはこれは大学の教育力。今回表彰された人たちは成績優秀で入学して優秀な成績で卒業したのだから、大学は何の役割も果たしていなかったということ」と話したことを覚えている。今はしっかりした自分の運営方針に従ってすぐ近くで開業しています(沢田歯科クリニック)。

医師、歯科医師になりたいと決める時に動機はどうでもいい。崇高な理想を求めている人、親に勧められたからという人、安定していて給料が高そうだからという人、なんとなく引きずられて入ってきた人。どのような動機でその道に進んでも、そこでちゃんと勉強するとその面白みが分かります。そして、やりがいが見つかり、達成感を感じながら仕事を続けることができます。崇高な理想を掲げて入ってきた人がりっぱな医師になるわけではありません。どの分野でも、まずなんでもやってみることです。そして続けてみることです。必ず面白みが分かりますから。