以前からの予告通り、6月より火曜午後も休診としました。受付時間=勤務時間ではどうしても残業時間が増え、仕事が溜まってきます。患者さんの受付はしないけども仕事をする時間として設定し、仕事の質を高め最終的には患者さんの利益になる。そういう働き方改革の一環です。6月最初の火曜日は創傷治療の勉強会、2週目以降はコロナワクチン接種の時間として使うことになっています。

コロナとインフルとRSウイルスと

 この冬はアメリカでトリプルデミックが問題になりました。トリプルとはコロナとインフルエンザ、RSウイルスのことです。コロナがはじまってからマスク生活だったためインフルエンザはしばらく流行することはありませんでした。しかし徐々にマスクを外しての生活が戻ってきたため、この冬はインフルエンザ、そして乳幼児や高齢者で問題となるRSウイルスが同時に流行するという事態になったのです。

 以前のニュースレターでも書きましたが、澤田家では昨年11月に新型コロナウイルスが流行しました。私が仕事上で感染したのではなく、子供がまずコロナに感染して家庭内でうつったのです。家でマスクをすることはないので感染症はいつもこのパターンです。生後6か月と3歳に感染対策は無理なので家族は一蓮托生と割り切っていますが、もれなく毎回親もやられています。

 4月はインフルエンザウイルス感染でした。子供たちが高熱でうなされ、夜中に嘔吐し薬を飲ませたり、シーツを洗ったりと寝不足が続きました。5月はRSウイルス感染でした。喘息のようにヒューヒュー苦しそうに息をしながら、ときどき吐き出すのではないかというほどの強い咳をします。子供たちが順番に7~10日くらいかけて時間差でかかり、その後、寝不足で体力を消耗した親が実際にそのウイルスにかかるというサイクルでこの2か月は相当苦しみました。ニュースレターはここ最近いろんな理由で発行が遅くなっていますが、今回遅れたのはこのためです。

嗅覚障害と味覚障害

 今回、私自身がRSウイルスと思われる風邪にかかった時に嗅覚障害、味覚障害をはじめて経験しました。診察中にはコーヒーやカルピスを準備してもらうのですが、ただ苦い水、甘い水というのがわかるくらいで種類がわかりませんでした。食事も甘い、辛い、しょっぱいはわかるのですが、何の食品によるものかの区別はかなり難しくなりました。においと味は密接に関わっているということが実感としてよくわかりました。こんにゃくゼリーは味付けが香料だけでされているので、パッケージはもも、ぶどう、マンゴーなど違うのですが、味が全く同じでした。

 ところが食欲はあまり落ちませんでした。嗅覚、味覚が落ちても視覚で補っているような感覚がありました。「この食品はこういうにおい、味がしたはず」という経験が感覚を支えていたのか、不思議と食べた満足感はそれなりにありました。

 1週間くらいたつと鼻の奥の腫れがとれてきて、食べ物のにおいが口から鼻の奥に抜けるときに一瞬わかるようになってきました。嗅覚は鼻、味は舌とされていますが、風邪の時に腫れる鼻の奥の上咽頭がそれをつなぐ感覚をもっているというのがわかりました。

 自分が病気になったときは一つのチャンスだととらえています。どこのどういう感覚が障害されるとその症状になるのかが自分でわかるようになるからです。薬の効果も自分の体で分かります。かつて便に血が混じって大腸内視鏡検査をやってもらったときは腹のチクチクする痛みは腸管が引き延ばされて出る痛みだということがはっきりわかりました。胃カメラをやってもらったときも胃の中で水を入れて冷たいと感じるときに、ここで感じる症状は胃からくるものだと場所がはっきりわかりました。こうした痛みとそれを表現する言語表現が一致すれば、病気の原因となっている場所を正確に把握できるようになるはず、と思って貴重な学習の機会ととらえています。

急病の時、どうしたらいいのか?

 沢田内科医院のホームページのトップページに「急病の時、どうしたらいいのか?」というバナーを設置しました。多くの方は時間外や休日、祝日などに調子が悪くなったときに、どこに相談したらいいのか迷うのではないかと思ったからです。

 前院長美彦は沢田内科医院を開院してから10年間は弘前を出ることはなかったと聞きました。夜間休日問わず、電話がきては医院にかけつけて診療をして。そういう生活をずっと続けてきたということです。通院している患者さんの主治医としていつでも対応する。そうした姿勢が医院への信頼を高めてきたという面はあったにせよ、実際は体力的にも精神的にもかなりきつかったのではないかと思っています。

 開院当初よりは呼び出しがくる件数はかなり減っていますが、今も状況はほとんど変わっていません。私は夜も片時も携帯電話を離しませんし、先日のRSウイルス感染の際も午前1時に発熱で吐きながら電話で看護師に指示を出して、患者さんを内科輪番病院にお願いしました。癌の終末期の方が入院しているときは何度も夜中に様子をみにいく必要がありますが、翌日はどんなに眠くてもしっかり外来をやらなければなりません。個人の努力に依存した医療には限界があります。その個人が強靭な体力や精神力を持っていたとしても疲れた体と頭で診療を続けていると、いつか必ず大きなミスを犯します。

 何より家族への負担は大きいものです。自分のことを顧みても、妻自身が熱を出して咳をしながら具合悪くてぐずっている子供をみている中、そのまま捨て置いて急患対応に行くのはかなり心が痛みました。古い話をすれば、自分が子供のときに家族みんなで出かけたものの父親が病院に呼ばれたので予定変更になる。こういう経験から(がっかりしないように)親には何も期待しないようにしようと幼心に思ったものです。遠くに旅行したいとかできもしないようなことは自分の中であらかじめ欲望を押しつぶしていたような感覚が残っています。

 弘前には急患診療所、そして輪番病院制度があります。夜間も休日も、制度として医療を提供しています。私自身も勤務医時代は内科輪番を担い、現在は休日夜間急患診療所当番や休日診療所として日曜に医院を開けている日もあります。今後、長い目でみて質の高い医療を提供していくためには個人の力に依存した医療ではなく、持続可能なシステムとして維持していく必要があります。