鵬桜会のロゴマーク

 弘前大学医学部の同窓会である鵬桜会の理事長に就任しました。この5月に西澤理事長と何人かの先輩の理事が退任することになりました。平成21年に理事になり活動してきましたが、名簿を見てみると何と私が最長老ということになり、鵬桜会総会で私が理事長に選任されたのです。

 昭和19年に開校した青森医学専門学校は元々青森市にありました。それが昭和20年7月の青森空襲で青森市は焼き払われたため、昭和22年に青森医学専門学校は弘前市へ移転しました。そして、弘前医科大学を経て、昭和24年に新制弘前大学が発足するに伴い弘前大学医学部となりました。医学部同窓会が発足したのは昭和27年のことでした。この年は私が生まれた年なので69年前のことになります。昭和42年に法人化され弘前大学医学部鵬桜会となりました。事務局は弘大医学部創立50周年記念として建てられた医学部コミュニケーションセンター内にあります。

医学部メディカルコミュニケーションセンター

 鵬桜会は荘子の「逍遥遊」の中にある漢詩から名づけられました。「北の溟に魚あり、その名を鯤となす、鯤の大きさその幾千里なるを知らず、化して鳥となる、その名を鵬となす」。そして、幾千里なる翼を持つ鵬は南の溟を目指して飛び立つのです。日本一の桜がある弘前で学んだ学生は、鵬のように世界に飛躍してほしいという願いを込めて鵬桜会と命名されたのです。ちなみに、私の母校である弘前高校の校章は、埋め立てられて南塘グラウンドとなった鏡ヶ池から飛び立つ鵬です。弘大には「北溟寮」という学生寮がありますが、その名前もこれに由来しています。

 同窓会ですので卒業生に対して情報提供を行い卒業生の活動を支援することが最も重要です。しかし、全国に散らばっている卒業生に対して支援することには限度があり、現在は会報を発行することと卒業生名簿を作成し発行することの二つが主な活動となっています。もちろんこの世の中ですので、ホームページを通しても情報発信を行っています。医学部に在学する学生に対しては、新入生歓迎会、各種部活動への援助、医学祭、国家試験対策への援助などを行っています。また、弘前医学や青森県医学会などと連携を取りながら弘前大学と医学部への支援も行っています。

 鵬桜会の会員は約4,800人で、青森県はもちろん東北地方、全国にいて活躍しています。しかし、同窓会活動はどうしても地元に残った人がその中心になってしまいます。そして、卒業して間もない若い人たちは同窓会に興味を示すことが少なく、年を取るごとに興味を示すようになるものです。今後も、卒業生だけでなく医学部の学生のためにも鵬桜会の活動を継続していきたいと思っています。