全国には小学校の校長先生が約2万人いるようです。その小学校校長会の機関紙である「小学校時報」の「今月のことば」という欄に短い文を書きました。青森県の編集委員を務めている三省小学校の石川みどり校長先生に依頼されました。

小学校の校長先生が読む内容ですので、私が弘前高校の時に校長だった小田桐孫一先生のことを書きました。沢田内科医院の待合室にある大きな額にある「天下の賢」の話です。吉澤秀香さんが書いてくれた陸羯南の五言絶句です。

名山出名士 此語久相伝 試問巖城下 誰人天下賢

写真の中の文章を読むと分かるのですが、改めて簡単に書きます。名山の下には名士が出ると言われている。こう言われて久しくなるが、それでは岩木山の下に名士が出たのであろうか?名士、天下の賢とは天下一級の人物のことであり、そう簡単に出るものではない。教育者としての小田桐校長は、「天下の賢」は「一隅を照らす人」だと説きました。私は弘前高校1年生の時にこの話を校長講話の中で聞きました。

私はこの話に強く影響を受けました。高校生だった頃、伯母の知人の医師と何回か話をする機会がありました。その医師は、医師として生きるのであれば、地元で医師になり、地元で活動した方がいいとアドバイスしてくれました。高校生の私は、小田桐校長がいう「天下の賢」、「一隅を照らす人」は、青森県で医師として生きることなのだと思いました。それが私が弘前にいる理由です。

ここで秘密を明かすと、弘前大学の合格発表の前に、私は県外の医学部に合格していました。高校生の私は都会に行ってみたいとちょっと迷ったことも確かです。弘前大学に入学手続きをするまでの約20日間のことでした。

今回の話の結論は、校長先生というのは、生徒を直接教えることがなくても、生徒と直接話をしたことがなくても、その言葉は生徒の生き方に大きな影響を与えるものだということです。私の生き方にもっとも大きな影響を与えた先生が小田桐孫一校長ですので、全国の校長先生方にこのように大きな影響を受けた生徒が実在するのだということを知ってもらいたかったのです。

この短文の中で、高校を卒業してから40年以上と書きましたが、よく数えてみると何と48年にもなることが分かりました。50年近くになると書き換えた方が正確なのですが、48年は40年以上に含まれますので、校正せずにそのまま提出しました。年月が経つのは早いものです。