小倉百人一首のひとつですので、知っている人も多いと思います。令和3年1月3日の新聞を読んでいてこの歌を思い出しました。この歌に出会ったのは私が高校の古文の授業時間ですから、もう50年以上も前のことになります。

この歌は古今和歌集に収められている歌ですので、今から1200年前のことになります。天津風というのは、空の雲のことです。天皇一族である僧正遍照の歌ですから新嘗祭か何かで、天女が地上に降りてきて舞を披露しました。美しい天女を少しでも長く見ていたい僧正遍照は、天女が下りてきた天上への道、つまり、雲の間の通路を空の風で閉じてもらいたい、そう願いました。そうすれば乙女は帰ることができなくなり、僧正遍照はその姿をもう少し長く見ていられるから、というものです。

この授業が終わった休み時間に古文に詳しいクラスメイトとこの歌について少し話をしました。高校2年生の私は、彼女がいたわけではありませんが、恋人と会っている人が、ちょっとでも長く彼女と一緒に居たいから、何か事故でも起きて彼女が帰れなくなればいいなぁ、ということじゃないのかと話したことを覚えています。

1200年前のことですから、今のようにスマホですぐに彼女と連絡を取れるはずがありません。1200年前の人たちは、すぐには会えないので、その会えない時間に気持ちを膨らませて和歌を作っていたのだと思います。きっと、今よりもずっと深く物事を考えていたのではないかと思います。

何を言いたいかというと、今の私たちはコロナの中で、正月に家族とも会えず、友だちと食事に行くこともできず、自粛している。そして、これが新しい生活様式だというのは、この和歌を解釈するととてもそのようにはならないだろうということです。やっぱり、人と人はもっと接した生活をするのが自然なんだと、1200年前の和歌を思い出しながら確信しました。1200年前から人は人と交流したいと思っていたのです。コロナでのこのような生活ではなく、やっぱりもっともっと人と交流するような生活にならなければならないということです。私たちはスキンシップが大事だと言われて育ってきたのですから。

忘年会は中止しましたし、新年会も中止しました。仕事納め式や仕事初め式を中止したところも少なくありません。弘前市では成人式も延期しました。去年の6月に医師会長に選ばれた時も、すぐに何でも中止するのではなく、どうしたらできるかを考えながら運営していきたいと言いました。今も変わりません。医師会ができることをできるだけ実施して、新年も運営していきたいと思っています。

がん検診を含め、健診も少し控えられました。でも、沢田内科医院ではがん検診はほとんど同じように行い、おととしよりもがん検診の件数は多くなりました。そして、特に胃がん内視鏡検診では、内視鏡で切除できる胃がんと診断された人が何人もいました。がん検診を控えていれば、この人たちの胃がんは進行してしまい、開腹手術をして胃切除をすることになったかも知れません。感染対策をした上でしたが、がん検診をそのまま続けてよかったと思っています。

天津風の和歌を作った僧正遍照の彼女が小野小町だと言われています。小野小町の有名な歌があります。これも小倉百人一首に収められています。

花の色は 移りにけりな いたずらに わが身 世にふる ながめせしまに

降る雨をぼんやりと眺めているうちに、花の色はすっかり色あせてしまった。自分の美しい体も、むだな物思いをしている間にすっかり衰えてしまった。絶世の美人と言われる小野小町の歌です。何もしないで、ぼやっと過ごしていると、ただ年をとってしまうだけだと私は解釈しています。現在はぼーっとしているとチコちゃんに叱られますけど。

以上の内容は、弘前市医師会の仕事始め式で話した内容を少し変えたものです。仕事納め式も仕事始め式も、オンラインや文書で済ませて大人数で集まらないようにしたところがたくさんあります。しかし、私は直接職員に自分の思いを伝えたいと思いましたので中止することは考えませんでした。