開業以来はじめて誰もいなくなったナースステーション

 通院中のみなさまには年明けの1月4日から受診時にお知らせをはじめていましたが、令和6年1月16日より当院の入院病棟は閉鎖となりました。直接的な理由は看護師の人員配置の問題で夜勤が組めなくなってしまったためです。前院長美彦時代からずっと継続していた入院病床を持つ診療所、有床診療所としての機能は果たせなくなりました。これは非常に大きなことです。

 ご存じの通り、診療所と病院は病床数で区別されます。19床以下の病床を持つ、いわゆる医院、クリニック、開業医と言われるところが診療所、それ以上の病床を持っているのが病院といいます。沢田内科医院は19床の病床を持つ有床診療所として開院し、令和2年4月、直也が院長として継承するタイミングで11床に減らして保健所に届け出をして開院しました。

 継承直後は以前と同じようにベッドを利用していました。めまいや胃潰瘍、高齢者の肺炎や心不全、原因不明の発熱や癌の終末期など多彩な症状の患者さんを入院でみていました。特に重症患者さんや終末期の方が入院しているときは、夜間に当直の看護師さんからの電話連絡も頻回にありましたし、実際に夜に何度も病棟を訪れて診療したりと、かなり体力的にも大変でした。しかし、自分に信頼を寄せて入院してきた患者さんたちを治療するのはむしろありがたいという気持ちでみてきました。

 そうこうしているうちにコロナ禍になりました。最初のコロナ患者さんもふだんと同じように入院で肺炎治療をしているときに遭遇しました。中国の武漢からはじまり、徐々に日本全国に拡大しつつあるとき、最初期のコロナはそれこそ謎の伝染病、誰でも感染しうる、しかも重症化して死ぬかもしれないという恐怖がありました。ワクチンもない、治療薬もない、情報もまだあまりないという状況で、自分自身も怖いなと思いましたし、職員も怖かっただろうなというのは容易に想像できました。

 何より困ったのが院内で入院患者さんや職員間で感染が蔓延してクラスターになってしまった場合の対応です。職員が次々感染してしまうと休まなくてはなりませんので、マンパワーの問題で患者さんを診察することができなくなってしまいます。入院患者さんがコロナにかかるとさらに大変です。そもそも癌や心不全など大きな病気の治療のために入院しているのに、さらにコロナに感染するとそれが命取りになってしまう恐れがありました。コロナ陽性となった場合に転院させて治療できればいいのですが、毎日何百人、何千人も陽性になっているような状況ではとても大きな病院では引き受けてもらえないというのが現実でした。実際に施設や、精神科の病院などでクラスターが起きても、ほとんどは転院することなくその場で治療が行われることが多いという状況でした。

 そのためコロナ禍が本格的になってから当院では自主的に入院を制限していました。めまいなど数日で症状がよくなるのがわかっている方、他の疾患でも比較的軽症でいざとなれば外来でもみていけるような方に限って入院していただき治療するようにしていました。病気として中等症~重症の方、長期入院が予想される方は無理せずに最初から後方病院に入院をお願いすることにしました。ここ数年の入院患者さんは平均2~3名/日でした。食堂の職員にとっては食事を提供するには物足りない入院患者数だったと思います。

静寂に包まれた病棟の廊下

 入院病棟の強みは実際の診療だけではありません。24時間365日、何かあれば電話で対応できるというのが最大の利点でした。日中に診療していても「何かあればとりあえず医院に電話してください」これが言えるのは私たち診療する側にとっても、治療をうける患者さん側にとっても大きな命綱になっていたと思います。電話越しに看護師さんに不安を聞いてもらうだけで症状がよくなることもありますし、電話がきっかけで急変をいち早く察知し輪番病院に救急車で搬送となり一命をとりとめた方もいます。

 長らく通院されている患者さんには1人1枚、これまでの病気をまとめた病歴要約というものが存在します。急患で他の病院に行くときは、これを転院先にFAXや郵送で送っています。これがとても感謝されています。自分でも大学病院や弘前市立病院で救急担当だったときに経験がありますが、救急で受診された患者さんで一番大変だったのが、現在あるいは過去にどんな病気があったのか、現在内服している内服薬がどんな病気の治療目的で処方されているのかの特定に時間と手間がかかることでした。本人はウンウン苦しがっていて、連れてきた方は何もわからない、そういう中で情報を集めるのはかなり大変です。沢田内科医院の病歴要約にはそれが全部書いてあります。時間外に問い合わせがあってもすぐにそれがFAXで届き、治療に活かされる。それが入院病棟を持つ強みでもありました。

 今回入院病棟閉鎖のお知らせを出す中で、やはり今後への不安、そして率直に残念だったという声に遭遇します。最終的にはここで最期を迎えたかったとか、先生に看取ってほしかった(まだ全然そんな気配もないくらい元気な方でしたけど・・)という声を聞くと本当に重い決断をしてしまったのだなと改めて思います。看護師は減ってしまうのですが、沢田内科に通院している患者さんは今も着実に増え続けています。期待されている役割および責任を果たしていかなければなりません。入院病床がなくなっても、その分外来の質がよくなった。そう言われるくらい診療の質を上げて頑張っていく所存です。