バナナに関しては私には強い思いがあります。私が子どもの頃は、バナナは大変貴重なものでした。春は弘前公園で桜祭りが開かれます。昔は「観桜会」と言いました。そこではバナナが売られていました。年に1回、年に1本だけしか食べられないのがバナナでした。弘前には「バナナモナカ」があります。これは、バナナが手に入らないため、バナナに似せて作ったものなのだそうです。それが、今はいつもバナナがあり、時々、黒くなって食べられなくなったりします。全くもったいないことをしているものです。

ゆで卵も貴重品でした。小学校の校庭に咲いた桜の下で行われる春の運動会と冬の学習発表会でしか食べられませんでした。運動会や学習発表会は、地域の人たちみんなが参加する行事でした。小学校の子どもがいない家庭の人たちも参加するのです。運動会の昼休みには、校庭にござを敷いて昼食です。冬の体育館は足の踏み場もないほどの混み具合です。この時に、ゆで卵が必ずありました。それがどうでしょう。今は食卓にはいつでもゆで卵があります。何と日本は豊かな国になったのでしょうか。

今年の桜祭りはゆっくり散歩ができました。例年のごとく出店がたくさんあり、「おでん」、「たこ焼き」の店には長い行列ができていました。
子どもたちには「バナナチョコレート」が人気なのだそうです。 バナナを売っていたのは1軒だけでしたが、「オートバイショー」、「お化け屋敷」、「お面」、「わたアメ」、・・・・、40年ほど前と変わらない風景がたくさんありました。

この雑踏の中にいて、「生きかはり 死にかはりして 打つ田かな」という一句を思い出していました。この句は農民の生活史を詠じたもので、「そこに打つ田がある。打つ田は生きている。これまでも生きてきた。しかし、それを打つ人は生き変わり死に変わりしている。生き変わり死に変わりながら、年として絶えることなく打つべき田を打ち続けている」、このような意味の句です。

その夜の公園には、若い人たちがたくさん集まっていました。私よりも年配の人たちがむしろ少なかったのです。たくさんの出店が昔のままでそこにあり、その前を歩き回っている若い人たちを見て、1年として絶えることなく時間は流れ、自分も消えていく運命にあるのだなぁと感傷に浸っていると、携帯が振動しました。医院からの電話でした。たちまち現実に引き戻され、タクシーで帰ってきました。