9月の1ヶ月間、沢田内科医院でお世話になりました、松橋周一です。今年度より合併し、国立弘前病院あらため弘前総合医療センターの2年目研修医です。総合病院では経験できないことはもちろん、なんでもやるがモットーの澤田先生達のもとだから学べたこともあり、充実した毎日を過ごさせていただきました。これからも沢田内科での学びを活かし、励んでいきます。
さて「自由に書いて良いよ」と言われたので、ここからは本当に自由に書くことにします。私が自己紹介をする際に、よくする話です。
私はキュウリを食べません。それはアレルギーでもなければ、好き嫌いでもありません。大昔に、河童と約束したからです。
昔、八戸の新井田川(八戸市民病院の横を流れる川です)では溺れる人や家畜が沢山いて、村の人達は大変困っていました。それはどうもそこに住む河童の仕業のようで、当時の村の顔役だった私の先祖は、その理由を直接尋ねに行きました。すると河童は「自分達の好物のキュウリが、人間に全て食べられてしまうからだ」と答えました。そのため先祖は「では私の家はこれからキュウリを食べないことにする。その代わり、もうこういうことはしないでくれよ」と約束しました。こうして私の家は、代々キュウリを食べないことを今も続けています。家の食事でキュウリが出たことはありませんし、外食で注文する時は抜いてもらいますし、(申し訳ないとは思いつつも)入っていたときは残しています。私の数少ない自慢は、好き嫌いがないことなのですが、そういう理由で、キュウリだけは食べません。沢田内科の昼食でも、キュウリが出る日は毎食抜いてもらっていました。
さて、河童の話といえば、民俗学者の柳田國男がまとめ上げた”遠野物語”が挙がるのではないでしょうか。遠野には河童に限らず様々な伝承が残っていて、大変有名で羨ましい限りです。では遠野だけが特別お伽噺に富んでいたのでしょうか? 私はそうは思いません。柳田國男がまとめ上げたからこそ、今尚残っているのだと思います。河童との約束のような些細な話が、昔はそこかしこに溢れ、長い間語り継がれていたことが山ほどあったはずです。けれどその殆どが、残されることなく、絶えてしまいました。途絶えてしまったであろう伝承の多さを考えると、本当に、本当にもったいないと感じます。現代は今まさに伝承が途絶えていっている時代だと思います。もし地域のお話をご存知なら、何かしらの形で残してみませんか。私はこのような文章を書く機会が頂けて、とても幸せです。
全く医療に関係ない話をつらつらと続けさせていただきました。なんかキュウリ食べないっていう変なヤツがいたな、と頭の片隅にでも残ったのなら幸いです。
第131号より