『新明解国語辞典』の第6版が出たので買いました。私が新明解を使い出したのは平成元年です。 当時、大幅に改定された第4版からです。物の数え方を知りたくなっていろいろな辞書を読んでみました。 すると、新明解には名詞の最後に、「かぞえ方」として物の数え方が載っていました。 これが新明解を使い始めた理由です。その辞書を読んでいると、すごく面白いことに気がつきました。 広辞苑などよりも、語の意味を正確に伝えるために具体的な説明が長いのです。

例えば、「恋愛」という言葉を調べてみます。代表的な『広辞苑』(私はいまだに第4版)では、 「男女間の恋慕う愛情。」と、たった1行で説明されているだけです。 これが、『新明解国語辞典(第4版)』では、「特定の異性に特別の愛情を抱いて、 二人だけで、一緒に居たい、出来るなら合体したいという気持ちを持ちながら、それが、 常にはかなえられないで、ひどく心を苦しめる(まれにかなえられて歓喜する)状態。」と書かれています。 広辞苑に比べて、何と分かりやすいことか、これが辞書か?、と思いました。

新しく手に入れた第6版では、これがどう変わっているか読んでみました。 「特定の異性に対して他の全てを犠牲にしても悔い無いと思い込むような愛情をいだき、 常に相手のことを思っては、二人だけでいたい、二人だけの世界を分かち合いたいと願い、 それがかなえられたと言っては喜び、ちょっとでも疑念が生じれば不安になるといった状態に身を置くこと。」と 微妙に変わっていました。 それも、説明は細かいのですが、あまり面白味のない常識的な表現に変わっていました。

さて、いつものことで、くだらない興味が湧いてきました。 第5版ではどうなっているのか知りたくなりました。私は第5版は使っていませんでした。 古本屋に行くと手に入るのでしょうけど、今はインターネット時代です。 アマゾン(Amazon.co.jp)で調べてみました。何と、上質の古本が売っているではありませんか!! すぐに注文し、4日ほどで手に入りました。早速、「恋愛」がどうなっているか調べてみました。 「特定の異性に特別の愛情をいだき、高揚した気分で、二人だけで一緒にいたい、 精神的な一体感を分かち合いたい、出来るなら肉体的な一体感も得たいと願いながら、 常にはかなえられないで、やるせない思いに駆られたり、 まれにかなえられて歓喜したりする状態に身を置くこと。」となっていました。

第4版から5版、6版と次第に常識的な表現になっていることが分かります。 これには、訳があります。新明解第4版が出た後、 『新解さんの謎』(文春文庫で手に入ります)という本が出ました。 「恋愛」を例に出しましたが、このような説明や例文の面白さなど、 新明解国語辞典のことを面白く書いた本です。 この本で指摘されたことが、その後の版では意識して改定されたような印象があります。

読んでいて、第4版がもっとも面白いのですが、やはり第6版が洗練されていますので、今は第6版を主に使っています。 例えば、「あなた」の項目を見ると、「現在では敬意が下落し、同等以下の相手にも用いられる。 特に男性が、目上の人や初対面の人に用いると、見下したような印象を与えやすい。 また、友人どうしでも相手と一定の距離を置いて接する場合に用いられることもある。」と書いてあります。 これは、第6版で初めて記載されています。 こんな使い方をしていますので、結局は、ひとつの言葉を調べるのに、 第4版から第6版まで、3冊の辞書を読み比べてしまいます。

最後にもうひとつ。「わけても」の第4版の例文は、「見おくりに行くと、だれを見おくりに行ったときでも、 何かしら重たいものがあとに残るものだが、きょうは、わけても、そうだった。」となっています。 こんな長い例文が、辞書に使われているのです。普通の辞書だとスペースを節約するために、 無味乾燥な短い例文で終わりでしょう。 ちなみに、『広辞苑』では、「「わけて」に助詞「も」をつけて意を強めた語」、とそっけない。 新明解も第6版では、「教えのことばはどれもありがたかったが、わけても最後の一言は身にしみた」と 変わっていました。編集会議ではどんなことが議論されたのだろうかと、ますます興味が湧いてきます。 収録する言葉の数では『広辞苑』にはかないませんが、 『新明解国語辞典』は、読んでいて本当に面白い辞書です。

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