病気の腎臓を移植して新聞を賑わした愛媛県の医師は、患者さんからも、腎臓を提供した人からも、 『同意書は取っていなかった』と非難されていました。 現在の医療現場では、『同意書』に署名をしてもらわなければ検査さえできなくなってきています。 医師は高い倫理観を要求される職業ですが、何をするにも同意書が必要となった世の中では、 医師には倫理観がないと言われているのと同じです。

電化製品を買うと『保証書』が付いてきます。 現在の医学では、治療したことに対して保証書を付けるわけにはいきません。 不確実性があるからです。そこを補っているのが、医師と患者さんとの間の信頼関係ではないでしょうか。 『同意書』が存在すると、治療内容をきちんと説明したことの証明になります。 裏を返すと、『同意書』がなければ、内容を説明したことにはならないということです。 信頼関係が崩れてきているために、医師の倫理感に疑問がもたれ、 『同意書』という文書が必要になってきたのだと思います。非常に残念なことです。

インフォームド・コンセントは、「十分な情報を与えられて説明された上での同意」ですので、 医療行為について患者さんの理解を深めるために行われる行為です。 この行為を通して患者さんから信頼を得られ、医療の透明性にもつながってきます。 つまり、同意書に署名してもらうということは、これから行われる医療行為の内容を理解してもらい、 信頼関係を強めることに主眼があるのだと私は理解しています。

しかし、医療現場で同意書が重視されるのは、そんな理由からではありません。 同意書は医療行為を法的に正当化し、訴訟が起きた場合に、病院側の主張を証明する『証拠』として重要なのです。 新聞報道で、インフォームド・コンセントを「取ったか」、あるいは、同意書を「取ったか」、 という言葉が使われるのは、このためです。この使い方は、医療現場でも耳にします。 つまり、医療事故が起きた場合に、患者さんにきちんと説明したかどうかよりも、 「同意書を取ったか」どうかが問題になるのです。『とったかどうか』です。 これには、医療訴訟が増え、日常的に裁判に対する備えが必要になっているという現実があります。

手術の同意など重要な決断を下す場合には、できるだけ詳細な情報提供が不可欠です。 この大量の情報を分かりやすく説明して理解してもらうことが重要です。 この過程で患者さんとの信頼関係を築くことができるのです。 同意書を「取る」のに精力を費やすのではなく、患者さんとの信頼関係を築くことが本質です。 話し言葉や絵を使って行われるこの作業をすべて文書に残すことは、大変な労力と時間を要します。 しかし、これが要求されてきているのです。

医師が大量の文書の作成に時間を費やすため、治療方法を決定したり、 最新の情報を得るための時間が取れなくなってきています。 過剰ともいえる文書作成が義務となれば、医療全体の質が落ちることは目に見えています。 医師不足の問題を考え、目の前の大量の文書、健康保険で義務となっている『輸血同意書』などを整理しながら、 本質的でないところに非常にエネルギーを費やしているなぁと考えながら新年を迎えました。