陸 羯南(くが かつなん) (Wikipediaより画像引用

陸羯南は、1857年に弘前市に生まれ、輝かしい伝統を誇る東奥義塾出身のジャーナリストです。 宮城高等師範では、薩摩出身の校長を批判して退学、司法省法学校でも、学校の方針に反発し、 後の平民宰相・原敬とともに退学させられていました。 そして、みずからの政見を発表することにより、政府が正道を踏み外さず、 政治に対する正しい世論が起こることを願い、1889年2月11日、大日本帝国憲法の発布に合わせて、 新聞「日本」を創刊しました。

陸羯南は、何が何でも西欧列強に追いつき追い越せという政府に対して、 日本の伝統に基づいた穏やかな近代化を提唱しました。 徳義を重んじて権威主義に抗し、政府の不正腐敗を糾弾する激しい論調は、 しばしば発行停止処分を受けるという反骨のジャーナリストでした。 その陸羯南が、郷土の若者に向かって、『誰人天下賢』と呼びかけたのです。