昨年5月の連休に、『天下の賢』を求めて、弘前高校、養生幼稚園、陸羯南(くがかつなん)の詩碑を訪ね歩き、 ニュースレター33号で特集を組みました。 その後、まさにグッドタイミングで陸羯南の詩碑を建立した鳴海康仲先生のご子息である鳴海康安先生を中心に、 「陸羯南生誕百五十年没後百年事業実行委員会」が立ち上げられ、 つい先日、8月31日、9月1日、2日の3日間に渡って記念行事が行われました。 陸羯南を知る人は少なかったかも知れませんが、弘前市立郷土文学館と青森県近代文学館での展示、 新聞での特集や関連記事で、陸羯南の名前と業績は広く知られるようになったのではないかと思います。

9月1日には、陸羯南を語るフォーラムが弘前文化センターで行われました。 会場は満杯となり、たくさんの市民が参加しました。パネリストとして朝陽小学校、四中、弘高出身の鎌田慧さん、 正岡子規の出身地である松山市の正岡子規記念博物館館長竹田美喜さん、 陸羯南の研究家である九州工大教授本田逸夫さんの3人が話題を提供しました。 正岡子規といえば、例のひげを生やしたおじさんの写真を思い出しますが、何と34歳で亡くなっています。 正岡子規は、その最後の7年間は結核に冒されていました。 起き上がることもできず床に伏した正岡子規の生活を支え、新聞「日本」に活動の場を与えたのが陸羯南だったのです。 松山市の正岡子規記念博物館の展示会場には陸羯南のスペースがあり、 陸羯南の存在がなければ正岡子規はなかったと讃えているのだそうです。

詩碑には、『天下の賢』の詩が刻み込まれている。 御影石には周辺の杉と岩木山が映っています。

9月2日は、陸羯南ゆかりの地巡りツアーで、狼森の陸羯南詩碑を訪ねました。 80人の募集に対して150人の参加者があり、弘前市民の関心の高さがうかがわれました。 アップルロード沿いの大狼神社から200メートルほど登った高台に陸羯南の詩碑があります。 昨年訪ねた時は、風化により読めない部分がありましたが、新しく五言絶句が刻まれた黒い御影石がはめ込まれていました。

    名山出名士 (名山名士を出す)
    此語久相伝 (此の語久しく相伝う)
    試問巖城下 (試みに問う巖城の下)
    誰人天下賢 (誰人か天下の賢)

その隣には、説明の立て看板がありました。司馬遼太郎の著書「北のまほろば」に出てくる文章で、 この詩の内容が説明されていました。

詩碑の正面に立って後ろを振り返ると、木々の間に名山、岩木山が見えます。

また、昨年訪ねた時は、50年の間に成長して大きくなった杉のために、 名山、岩木山はまったく見ることができませんでしたが、狼森地区の人たちによって整備され、岩木山を望むことができました。歩道も整備されていました。ちょっと急な坂がありますが、無理なく登っていくことができます。一度、訪ねてみて下さい。

康安先生の話では、父の康仲先生は奥さんをどこへも連れて行ったことがなかったのだそうです。 その罪滅ぼしのためか、亡くなった奥さんのお骨をこの詩碑の隣に分骨して、岩木山を眺めさせているのだそうです。 そして、自分の骨も分骨して、ここに埋めてもらったのだそうです。 大きな詩碑の近くに石が置いてありますが、この下に康安先生のご両親が眠っていて、この詩碑を守っているとのことでした。

私は40年前に当時の弘前高校小田桐孫一校長から教わった『天下の賢』をずっと考え続けてきました。 昨年5月の連休に、弘前高校が旧制弘前中学校の校舎を公開したこと、 養生幼稚園が新築された時に養生会松陰室を公開したこと、私に多少心の余裕があったこと、 などが重なり、陸羯南の直筆による五言絶句『天下の賢』の掛け軸を見ようと出かけました。 その時は、このようなことが計画されるということを全く知りませんでしたし、 陸羯南に関する資料を集めようとしても限られたものしか手に入りませんでした。 今回の記念事業を契機に分かりやすく解説した本が何冊か出版されましたので、陸羯南のことをさらに深く知ることができました。 小田桐校長の講演集『鶏肋抄』と、これらの陸羯南の関する書籍を読むと、何か心のルーツを訪ねたような気がしました。

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