新聞記事で見る沢田内科医院の軌跡令和4年、沢田内科医院で定期的に発行してきたニュースレター120回分をまとめて「沢田内科医院の軌跡」として製本しました。これまで開業医としていろいろな活動をしてきました。医院としての活動、医師会活動に関連したこと、個人として活動してきたことなどたくさんあります。この中で、新聞記事として取り上げてもらえたことがあります。今回、新聞記事の切り抜きをまとめて「新聞記事で見る沢田内科医院の軌跡」として全62ページの小冊子を作りました。

感染症対策への取り組み

平成7年に開業して落ち着いた頃、先輩の先生から「自分のことだけじゃなくて、そろそろ弘前市など周りのことを考えながらやらないとダメだよ」と言われました。まず平成16年、医師会で感染症対策委員会を立ち上げるのでその委員長をやるようにとの命令でした。私がエイズ対策の経験があること、白血病などに伴う感染症の経験があることを知っていたからです。実際に活動してみると医師会が地域に対して果たしている役割がすごく重要なものであることが分かり、2年後に医師会理事に就任しました。

麻疹(はしか)の流行

感染症対策委員会の委員長に就任してすぐに感染症に関心がある医師会員とメーリングリストを作りました。現在であれば LINE(ライン)での情報交換というところでしょうか。そして、弘前市での麻疹感染の1例目をキャッチしました。これをきっかけにはしかのワクチン接種に繋げました。新聞では3回報道されました。

新型インフルエンザの流行

平成21年には新型インフルエンザの流行がありました。2年後には一般のインフルエンザに格付けされましたが、最初は新型ゆえに病原性がどれくらいなのか不明なこともあり医師会全体としての対応はできませんでした。市内の流行が広がった時点で土日と休日診療は会員の診療所で対応しました。結果的に約10,000人の感染者が受診しました。会員の診療所、医師会急患診療所、健生病院、その他の市内の病院、この4つのグループで4分の1ずつ対応しましたので医師会は大きな役割を果たしたと思っています。

新型コロナウイルス感染症の流行

新型コロナウイルス感染症は令和2年に青森県内で第1例目が確認され、弘前市では10月にクラスターが発生しました。弘前市で本格的に多くなったのは令和4年です。私にとっては麻疹、新型インフルエンザに続いて第3弾目の感染症でした。コロナ感染症はまだ続いていますが、私は令和2年から令和6年まで医師会長を務めましたので、ほぼ自分の任期の間は新型コロナウイルス感染症対策に専念したような状態でした。弘前市医師会は弘前市と協力し、地域の実情を踏まえて他の地域とは異なる対応をしました。感染者への対応、ワクチン接種、など12回も新聞で報道されました。

弘前高校開校記念講演会

令和4年、弘前高校の開校記念日に講演を依頼されました。高校時代の大きな影響を受けた小田桐孫一校長から教わった「誰人か天下の賢」、「一隅を照らす」をキーワードの後輩に話をしました。卒業生には「照千一隅 忘己利他」と書いた色紙が渡されました。

西目屋中学校閉校記念講演会

西目屋中学校は平成27年で閉校となり、西目屋の子どもたちは東目屋中学校に通っています。閉校記念講演会として閉校直前の2月に講演を依頼されました。中学生は理解できると判断して、「誰人か天下の賢」、「一隅を照らす」、「その人がいなくては物事が進まず困るような人を目指す」をキーワードに講演しました。この新聞記事を読んだ書家の吉澤秀香さんから「名山名士を出だす ・・・・・ 誰人か天下の賢」の五言絶句の大きな書をいただきました。

西目屋小中学校での図書活動

平成19年から西目屋中学校へ図書費を寄付して本を読むきっかけにして欲しいと活動して来ました。中学校は閉校となりましたが、その後も西目屋小学校に対して「ふるさと納税」の制度を利用して活動を続けています。平成30年、西目屋小学校は図書活動で文部科学大臣賞を頂きました。図書室の本は学校の先生が選んでいます。子どもたちの目線で本を選ぶとどうなのでしょうかと提案しました。令和4年から弘前市内の書店で予算を決めて子どもたちが読みたい本を選ぶ活動を続けています。沢田内科医院の待合室には本がたくさん置いてあります。取材に来た東奥日報の菊谷賢記者はこれを記事にしてくれました。

永年功労顕彰碑

平成28年に西目屋小学校の前庭に永年功労顕彰碑が建てられました。これには「誰人か天下の賢」の陸羯南の五言絶句を刻んでもらいました。まだ生きてるからと断ったのですが・・・・・。

胃がん検診対策

胃癌の原因の大部分はピロリ菌です。胃がん検診の最終目標は胃がん内視鏡検診です。まず、平成26年から年齢を区切ったピロリ菌を検査する胃がんリスク検診を始めました。また、平成29年から弘前市の中学校2年生にピロリ菌除菌事業を始めました。西目屋村では平成25年からリスク検診、平成27年から中学生のピロリ菌除菌事業を始めていました。弘前市では県内トップを切って平成30年に待望の胃がん内視鏡検診が始まりました。

医師会看護専門学校

入学式、卒業式、看護の誓い式はいつも新聞で報道してくれます。看護師国家試験の合格率は100%のことが多く県内ではトップクラスです。平成27年に放送大学と提携しダブルスクール制度を導入しました。准看護学科1年生の10月に放送大学に入学し看護学科を卒業する時点で放送大学も卒業し教養学士の学位が授与されます。

キラリ輝く 働きながら看護学士に

現在、医師会看護専門学校専任教員として活躍している元職員の小堀未希が東奥日報で紹介されました。医師会看護専門学校が専門学校となりその単位が大学と同等を認められたので第1期生として放送大学に編入学しました。2年後に卒業して教養学士を授与されました。テーマを糖尿病として勉強し、学位授与機構に論文を提出し認定試験に合格して看護学士の学位が授与されました。ついでに日本糖尿病療養指導士の資格も取っています。放送大学とのダブルスクール制度も小堀未希の実績があったので自信を持って提案することができました。

弘前市医師会長就任ほか

令和2年から4年まで弘前市医師会長を務めました。平成22年から弘前高校学校評議員、平成25年から弘前南高校学校評議員、平成28年から弘前市教育委員を務めました。全国に小学校校長の機関紙である「小学校時報」の表紙裏の「今月のことば」に寄稿を依頼されました。この時も、「名山名士を出だす ・・・・・ 誰人か天下の賢」の陸羯南の五言絶句の話を書きました。高校の小田桐孫一校長には大きな影響を受けましたので、最後は「ひと言も言葉を交わしたことがない校長に導かれて」と締めくくりました。

73歳になりました。あと少しで後期高齢者です。自分自身のためにこれをやろうとする計画はありません。しかし、何らかの形で自分ができることを人に伝えていこうと思っています。そのことを記録に残せるかどうか分かりませんが、これからもできるだけ記録に残していこうと思っています。

「新聞記事で見る沢田内科医院の軌跡」は沢田内科医院ホームページにPDFファイルでアップしています