ホトトギスというのは、口の中が赤く、鳴くと血を吐いているように見えるようです。このことから、子規は21歳で最初に喀血をした後、俳号を「ホトトギス」にしたとのことです。新聞「日本」の記者として日清戦争からの帰り、子規は2度目の大量喀血をします。子規は、最後の3年間は、結核が背骨を侵す脊椎カリエスで身動きができなくなり寝たきり状態だったようです。しかし、新聞「日本」での文学活動は続け、34歳で亡くなる二日前まで書き続けた随筆「病牀六尺」はここで生まれています。

松山城のマドンナと一緒に 
夏目漱石の「坊っちゃん」の中に出てくるマドンナ、と言っても今の若い人たちには古典を読むようなものらしい。100年も前のことですから当然かな。

夏目漱石は、子規が主宰する俳句雑誌「ホトトギス」に「吾輩は猫である」と「坊っちゃん」を発表して文壇デビューします。子規はたくさんのペンネームを持っていますが、「漱石」もその一つでした。夏目漱石は、子規から「漱石」というペンネームをもらったのだそうです。夏目漱石は胃潰瘍に悩まされて何度も吐血をして、最期も胃潰瘍が原因だったという話は有名ですが、肺結核にも罹っています。

子規と夏目漱石は東京で知り合っています。2度目の喀血をした子規は、故郷の松山で療養しますが、ころがり込んだのは夏目漱石の下宿だったようです。夏目漱石はペンネームだけでなく、子規から結核ももらったのでしょうか?100年も前のことですから、感染源を特定するのはむずかしいでしょう。

ちなみに、「漱石」というのは、昔の中国で、「石に枕し流れに漱(くちすす)ぐ」と言うべきところを、「石に漱ぎ流れに枕す」と言ってしまい、誤りを指摘されると、「石に漱ぐのは歯を磨くため、流れに枕するのは耳を洗うためだ」と言ってごまかしたという故事に由来することは、高校時代に習いました。自分の失敗を認めないで、屁理屈を並べて言い逃れをすること、負け惜しみが強いということです。