私は、昭和63年に青森県立中央病院へ転勤になりました。県病での仕事に慣れた頃、今は青森市医師会長をしている成田祥耕神経内科部長の言葉にだまされて、『青森県立中央病院医誌』の編集委員にされてしまいました。成田先生が私を誘った目的は、何となく古くさく伝統も感じない雑誌の体裁を人目につくように変えることでした。結果的に、表紙を初めとして中の論文の体裁まで全面的に変えてしまいました。その時に、裏表紙が真っ白なのはもったいないという話になり、医学に関する津軽弁の記事を私が書くことになりました。

成田先生と私は、弘大時代は違う内科に所属していましたが、お互いに弘前周辺の田舎出身ということもあって親しくさせてもらっていました。都会出身と間違えそうな雰囲気のある成田先生は、実は平賀町出身で本格的な津軽弁の使い手でした。その先生が、私に津軽弁を連載しろというのですから、私の津軽弁がいかに本格的なものであるか分かると思います。ただ、私にとって津軽弁は特別なものではなく、生活の中で努力もせずに自然に身についたものでしたので、記事を書くこと自体は何ら問題がありませんでした。自然に湧き出てくるものを、文章にするだけのことでしたから。

成田先生の命令ですので、抵抗することもなく『津軽弁ひとくちメモ』として、医学に関連する津軽弁を連載して裏表紙を埋めることになりました。私は青森には4年間いましたが、弘前へ帰ってきてからもしばらく続けていたように記憶しています。そして、沢田内科医院のホームページを立ち上げる時に、全国に向けて『医学津軽弁』のコーナーを設け、青森県立中央病院時代に書いた『津軽弁ひとくちメモ』を少し変えてアップしました。

このホームページを読んでくれた一人が、弘大総合診療部の加藤博之教授でした。加藤教授は、将来、医師として働く医学部1年生に対して「臨床医学入門」という科目を担当しています。その目的の中に、弘前大学医学部に対する帰属意識を高め誇りを持つ、地元に対する理解を深め「地元志向」の芽を育てる、ということが掲げられています。この目的を達成するために、全部で30回の講義のうち「津軽学」として6回が割り当てられています。「白神の魅力」、「ねぷた絵の歴史」、「世界からこころのふるさと津軽を考える」などがその内容です。沢田内科医院のホームページで『医学津軽弁』を目にした加藤教授は、『医学津軽弁』の時間を設け、私に話を持ってきたという次第です。

医学部の学生の約半分が青森県出身でした。しかし、青森県といっても、津軽だけでなく南部地方と下北地方がありますので、純粋に津軽弁を理解できるかなと思ったのは約4分の1程度と想像しました。さて、講義の程度をどうするかが問題でした。英語の授業の時に、英語が分かるアメリカ人が25人、英語を勉強した外国人が25人、英語がまったく分からない外国人が50人のクラスで、どこを基準に教えるかは非常に難しいのと同じです。

『あげた』、『ぼのご』など体の各部の名前や『いで』と『やめる』の違いなど津軽弁そのものはもちろんですが、標準語ではとても言い表すことができない津軽弁の奥深さを知ってもらおうと試みました。例えば、『行がさね』。『恩師の先生とは長いことご無沙汰しています。久しぶりに挨拶に伺おうといつも思いながらも、忙しさを理由になかなか足が向きません。それに、ちょっと大儀なところもあり、ついつい失礼しています』という内容は、津軽弁では『行がさね』と言えばすべて表すことができます。八王子出身の学生に標準語では何と言うのか?と聞いてみましたが、適当な言葉は見つかりませんでした。『飲まさる』、『書がさね』など、表現豊かな津軽弁がたくさんあります。

『医学津軽弁』の講義でしたが、最も強調したことはコミュニケーションの大切さです。医学部に入りたての頃は、「患者さんの話を聴けば、7割から8割は診断がつく」というベテラン医師の言葉は信じられないものです。早期胃癌など検査でなければ診断できない病気はたくさんあります。しかし、日常診療では、話を聞いて診察すれば多くの場合解決できます。そのためには、患者さんから言葉で状態をうまく説明してもらうことが重要です。

もう一つ、医学生に対して伝えたかったことは、津軽弁を拒否しないで欲しいということでした。津軽弁で医師に話しかけた時に、拒否するような態度を見せると患者さんは黙ってしまいます。結果として、正しい診断に到達することができず、適切な医療を提供できなくなってしまうからです。私が大学病院に勤務していた頃、こんなことがありました。診察室に入ってきた患者さんが、一生懸命「いい言葉(標準語)」で話をしようとしていました。私が津軽弁で話しかけると、『わぃ、さっぱどしたじゃ』とその患者さんは笑顔になっていろいろ話をしてくれました。

講義の最後に標準語では表せない津軽弁を二つ取り上げました。『しねぇ』と『むっつい』です。『しねぇ』は、「死ね」ではありません。
『むっつい』を実際に体験してもらうために、富田の「いなみや菓子店」から「いなみやバナナ」を買って持って行き、1本ずつ配って味わってもらいました。 「バナナもなか」は秋田の大館市にもあるとのことですが、津軽地方にしかないお菓子です。 学生が帰省する時にお土産として持って行けば、経済効果も期待できます。

豊かになった現在、バナナはいつでも手に入りますが、その昔はなかなか食べられなかったものです。「バナナもなか」は何ヶ所かの和菓子店で手に入りますが、香りと味がもっともバナナに近いのは「いなみやバナナ」だと私は思います。ちなみに、「いなみや菓子店」は、注意していないとつい通り過ごしてしまいそうな古い木造の店です。