弘前ねぷた祭りも終わりに近づいた8月5日夜、ねぷたで死亡事故があったという情報が入った。弘前ねぷた祭りでは初めてのことである。翌日、関係団体の協議の結果、残りの日程はすべて中止となった。

医師会事務局と健診センター職員と一緒に

ねぷたは多くの人が綱を引くので、運行自体で事故が起こる可能性がある。そのため、各団体は安全に運行できるように最善の安全対策を取っている。本体が大型化し、昇降装置を持つねぷたが多くなった現在、ねぷた本体の安全対策も必要であることを今回の事故が教えてくれた。

私の部屋には三浦呑龍さんの見送り絵が掛けてある。平成7年に開業した時にお祝いとして頂いたものである。この絵を見ながら、いつかはねぷた祭りに出ようと心の中で思っていた。そして昨年の春、「今年はねぷたに参加する」と密かに決めた。

右が澤田真奈美さん、左が相馬知香さん

そんな時期に、次男の嫁が八戸からやってきた。彼女は物心がついた時にはすでに八戸三社大祭で太鼓をたたいていた、根っからのお祭り好きである。弘前に来るなり、ねぷたに参加したいという。これで私のねぷたの参加は決まった。

昨年夏、私は初めて医師会ねぷたに参加した。弘前市医師会では3日間出陣したが、大円寺で買った新しい笛を持って私は皆勤した。そして、ねぷた祭りが終わった後の打ち上げの席で思いがけないことが起こった。何と、今年のねぷた実行委員長にされてしまったのだ。

その1年前、看護専門学校担当理事の私は、運営委員会委員長をある先生にお願いした。「先生、委員長には先生しか適任者はいないんですよ。何とかお願いしますよ!」と委員会の前に電話で無理にお願いした。もちろん、委員会の組織会ではスムーズに委員長が決まった。

さて、打ち上げの席での話です。ねぷた運営委員会を実質的に牛耳っていたある先生は、私のテーブルに来て椅子の横にしゃがみながらこう言った。「先生、委員長には先生しか適任者はいないんですよ。何とかお願いしますよ!」と。どこかで聞いたことがあるセリフである。隣に座っていた友人の整形外科医も、「歩けるうちにやっておいた方がいいんじゃないの!」と。私は何の反論もできずに、すぐに就任の挨拶をしたのだった。

平成26年5月、ねぷた小委員会で具体的なスケジュールが決定され実質的な活動が始まった。ねぷた絵師の三浦呑龍さんへのご挨拶、岩木山神社での安全祈願と晴天祈願、関係団体へ協力のお願い、いろいろな仕事が待っていた。7月31日の前夜祭で安全祈願の後、いよいよ出陣を待つだけとなった。

今年のねぷたは2日、4日、6日に出陣することになった。2日と4日は土手町コース、6日は駅前コースである。2日は晴天に恵まれたが、ねぷた小屋から出る時点で交通事情のために集合が遅れ、出番は最後の方となってしまった。出陣する前の楽しい時間を過ごし、いよいよ出陣である。一番町あたりで道案内の標識にねぷたがひっかかってしまい進行が遅れた。その後、土手町では交通標識に接触する事故があった。

ねぷた運行の後は、医師会屋上でなおらいを行い、事故もなく終了となった。 参加人数は約200人であった。4日は時折雨が降り、ねぷたにビニールシートを被せて待機した。進行中は時々小雨に見舞われたが濡れることなく無事に終了した。後は6日の駅前コースを待つだけとなった。ねぷたの死亡事故が起こったのはこの後である。そして今年のねぷた祭りはここで終了となった。

ねぷた祭りが終わった8月9日、実行委員会の慰労会が開かれた。その場で、不完全燃焼との理由で、来年度も引き続き実行委員長をやることに決まってしまった。9月4日にねぷた小委員会の反省会が開かれた。鍛冶町で開かれた反省会はまともに3時間も続いた。白熱した議論が続き、「委員長裁定」で決まったこともあった。熱い人たちの集まりだった。そして、これが来年のねぷた祭りの始まりであることを知った。

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