弘前市医師会ねぷた

今年は初めて弘前市医師会ねぷたに出た。私の部屋の壁には、三浦呑龍さんから開業記念に頂いた見送り絵が掛けてある。 毎年、ねぷたの時期になると気になっていた。昨年から、心の中ではねぷたに出ようと決めていた。 高校時代に弘高祭で笛を吹いたことがあるが、久しぶりに笛を吹いてみようと。

今年は、私の次男の嫁、真奈美(まな)がねぷたデビューするというので一緒に出た。 まなは、気がついたら八戸の三社大祭で太鼓をたたいていたというお祭り女だ。3月末に弘前に来てから、ずっと楽しみにしていたようだ。 そして、観光館や医師会でのねぷたと太鼓の講習会に何回も出ていた。

さて、7月31日の安全祈願祭を終え、医師会の浴衣を着て8月1日を迎えた。 出発前から笛を吹いていた私は、桜大通りでお披露目をして、一番町の坂を下る頃には息切れがしてきた。 笛の音も尺八のようになってきた。そこはさすがに長い歴史を誇るねぷた祭りだ。ちゃんと水を補給してくれた。 これで尺八のような音も本来の澄んだ音に戻った。

8月3日、息切れする笛を嫌って、人手が足りない灯篭持ちになった。 「ただ歩いてくれるだけでいい」というねぷたスタッフの言葉とは違い、担ぎねぷたの前を歩いていた私は、 「ヤーヤドー」の度に腕を高く上げて灯篭を持ち上げなければならなかった。最初から最後までずっと。翌日、腕が痛くならなかったのが不思議だった。

8月5日、月曜日の外来は遅くまでかかった。すぐに集合場所へ急いだが医師会のねぷたはすでに出発した後だった。 まなと一緒にやっとシティホテルのあたりで追い付き、再び笛を吹いた。

8月9日、問題はねぷたの打ち上げのこの日に起こった。パークホテルでのご苦労さん会の最後に、来年度のねぷた運営委員長、運行責任者にされてしまったのだ。 「実務は他の人がやるから、ただ前を歩いてくれるだけでいいから」と。何だかどこかで聞いたことがあるセリフだった。 隣に座っていた私の友人の整形外科医も、「歩けるうちにやっておいたら」などという。

弘前市医師会ねぷたは37年連続出陣です。ねぷたは医師会の中では同好会ではなく、正式行事と位置付けられています。 医師会職員の熱意で持っている面もありますが、弘前市の伝統行事を守り地域貢献する意味でも続ける意義があります。 かなりの人数が出ていましたので、何人出たのか聞いてみました。初日180人、2日目200人、3日目150人だそうです。 主催者側発表ですが、ほぼ正しい数だと思います。

茂森新町ねぷたと朝陽小学校ねぷた

茂森新町のねぷたは日本一です。私はねぷたには参加しなかったのですが、私が勝手に「がん検診の街 茂森新町」と言ってるものですから、 ねぷたのスタッフが角灯篭を6個作ってくれました。 「問診検診 明日も安心」、「転ばぬ先のがん検診」、「がん検診で百歳長寿」、「健康維持と笑顔のまち」、「早期発見 がん検診」。 これらは、ねぷたのスタッフが考えて作ってくれたもので、私はびっくりしてしまいました。

弘前市医師会のねぷたに出ましたので、茂森新町には8月7日の打ち上げだけに出ました。 ここでも、私が企画しているがん検診が話題になり、皆さんに協力をお願いしました。

朝陽小学校は弘前市で一番古い歴史があり、今年は創立140周年を迎えます。それを記念して、8月24日、朝陽学区の4町会がねぷたを運行しました。 常盤坂のりんご公園を出発し、茂森新町、茂森町、塩分町、本町、相良町、そして在府町の朝陽小学校まで約4.2kmとのことでした。

ねぷた運行に誘われ、マスコットキャラクターのあさひ君がプリントされたTシャツとはちまきが医院に届きました。 りんご公園でセレモニーが行われ私はそれを着て、2時間ほど歩きました。ここでも、茂森新町ねぷたで使った角灯篭を子どもたちが担いでくれました。

沢田内科医院は、お世話になっている人たちが住む朝陽学区にありますので、朝陽小学校を全面的に支援しています。 それ以上に、私にはこの学区が陸羯南の出身地だというこだわりがあります。 陸羯南の「名山出名士、・・・・・・」の中にある、「誰人天下賢」と密接な関連があるからです。 高校時代の小田桐孫一校長は天下一級の人物を指す「天下の賢」は、一隅を照らす人だと教えました。この言葉がずっと頭から離れずに成長してきました。 どんなことでもいい、一隅を照らして行こうと。このようなことから、朝陽小学校創立140周年記念事業にも関与することになりました。

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