昨年12月、弘大医学部同窓会鵬桜会理事長として医学部の卒業アルバムに載せる色紙に座右の銘か何かを書いて欲しいと依頼されました。いろんなことをやってきましたが、色紙を依頼されたのは初めてでした。
早速、ジュンク堂で何種類かの筆ペンを手に入れちょっと書道の練習をしました。そして気に入った筆で、「照千一隅 忘己利他」と書きました。私がもっとも強い影響を受けた弘前高校の小田桐孫一校長から教えてもらった言葉です。これから医師として世の中に飛び出す医学部の卒業生の心のどこかに留め置いてもらいたいと思いながら書きました。
「径寸十枚是れ国宝に非ず 一隅を照らす此れ則ち国宝なり」
「お金や財宝は国の宝ではなく、家庭や職場など自分が置かれた場所で光り輝くことができる人が国の宝である。」という意味です。つまり、「一隅を照らす」とは、どのような経済的な状態であっても、どのような社会的立場にあっても、それぞれが生活や仕事を通じて自分の周りの人たちのために努力し実行することです。このような姿勢で毎日を送っていれば、必然的にその場では欠くことのできない存在となり、社会からも必要とされる人間になっていきます。
この言葉は、約1200年前に比叡山の延暦寺を開いた最澄が、修行する若いお坊さんたちのために説いた「山家学生式(さんげがくしょうしき)」の中にある言葉です。ちなみに、山家とは延暦寺の別称で、学生は仏教の修行をする僧、式は心得という意味です。
「己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり」
もう一つの「忘己利他」も「一隅を照らす」と同じく「山家学生式」の中にある言葉です。「忘己利他」は「もうこ りた」と読みます。文字通り解釈すると「自分を忘れて他人のためにつくす」ということです。
私たち人間は往々にして自分本位に物事を考えてしまいがちです。というより、それが普通です。しかし、「忘己」ではあるが、我欲は一旦わきに置いてという意味であって、決して自分のことはどうでもいいということではないと思います。「衣食足りて礼節を知る」ということわざがあります。着るものや食べるものが十分にあって初めて、人は礼儀や節度をわきまえるようになるということです。これに通じるものがあります。
沢田内科医院では「患者中心主義」ではなく「職員中心主義」だと話しています。自分の生活がきちんとしていない人が患者中心の医療を提供できるわけがないと思っているからです。最澄の教えも、「自分のことはさることながら他の人のために尽くすことが最高の慈悲である」と言っているのだと私は解釈しています。
このように、「一隅を照らす」ということと「己を忘れて他を利する」は同じことなのだと分かります。私たちは社会の中で暮らしています。その社会の中ではどのような仕事も必要とされています。幸いなことに、私たち医療従事者の仕事は直接他の人たちのためになっていることがすぐに分かる仕事です。私たちは恵まれた立場で仕事をしています。自分たちが普通に仕事をしていること自体が一隅を照らすことになるのですから、これほど恵まれている仕事はありません。
「照千一隅 忘己利他」、新しく医師になる若い人たちに望むだけでなく、私自身もこれまでと同様この精神で進んでいきたいと思っています。
第127号より