北 冥 有 魚   其 名 為 鯤
鯤 之 大   不 知 其 幾 千 里 也
化 而 為 鳥   其 名 為 鵬
鵬 之 背  不 知 其 幾 千 里 也
怒 而 飛  其 翼 若 垂 天 之 雲
是 鳥 也  海 運 則 將 徙 於 南 冥
南 冥 者  天 池 也

漢詩的な読み方:
北の冥(うみ)に魚あり。その名を鯤(こん)と為す。鯤の大きさ、その幾千里(いくせんり)なるを知らず。化して鳥と為る(なる)とき、その名を鵬(ほう)と為す。鵬の背(そびら)、その幾千里なるを知らず。怒りて飛べば、その翼は天に垂れる雲の若し(ごとし)。是の鳥は、海の運く(うごく)とき、将(まさ)に南の冥(うみ)に徒らん(うつらん)とす。南の冥とは、天のなす池なり。

現代語的な読み方:
世界の北の果て、冥き(くらき)海に怪魚がいた。その名前を鯤(こん)という。鯤の大きさは、いったい何千里あるか分からないほどに巨大である。鯤が(時節が到来し)姿を変えて鳥となる。その名前を鵬(ほう)という。鵬の背中の大きさは何千里あるか分からないほどに巨大である。鵬が一たび満身の力を奮って大空に飛び立てば、その翼はまるで天をおおう雲のようである。季節風で潮目が変わって海が荒れ狂う時になると、鵬は北の海から南の果ての海へと移ろうとする。南の冥き海とは、天が生み出した巨大な池である。

荘子(紀元前300年頃)

これは紀元前300年頃の「荘子」の漢詩です。いきなりニュースレターに難しい漢詩が出てきて読む気がしなくなった人がいるかも知れません。私も古文や漢詩は大の苦手です。高校時代に勉強しなかったために読めないんです。でも、時々、必要に迫られて調べることがあります。

私は弘前大学医学部同窓会である「鵬桜会」の常務理事をしています。弘前大学医学部は通常の4月入学と、大学を卒業したいわゆる学士入学生を対象にし2年生の10月に編入する2通りの入学があります。ですから、年に2回新入生歓迎会を行っています。今年度から、弘大医学部新入生歓迎会で「鵬桜会」の紹介をすることになりました。そこで、鵬桜会の由来を調べてみました。

荘子は紀元前300年頃、古代中国の戦国時代に活躍した『無為自然』を重んじる超俗的な思想家で、老子とともに『老荘思想』と呼ばれる一派の原型となる思想を形成しました。これに対応するのが孔子が説いた『儒教』で、聖人君子の徳治主義を理想とした世俗的な思想です。荘子は権力、財力、名誉などを求めて自己の本質を見失ってまで奔走するのではなく、何ものにも束縛されない絶対的な自由を求める思想です。

「鵬」は、荘子の漢詩「逍遥遊」の中にあります。まさに、超俗的な思想に裏打ちされた、壮大な物語ですね。桜の名所である弘前にある弘大医学部で学んだ学生は、この鵬のように世界に飛び出して活躍して欲しいと願ったのが「鵬桜会」ということになります。ちなみに、弘前の桜は、1715年に津軽藩士が京都からもたらしたものだといわれています。ただ、弘前公園の中にはたくさんの桜があり、全部が京都からもたらされたものではありません。

第48代横綱大鵬

「鵬」といえば、私たちの年代は亡くなった横綱大鵬です。漢詩好きの横綱大鵬の師匠は、大鵬という四股名を温めていて、先に使われるのではないかと気が気でなかったそうです。期待の愛弟子が十両に昇進して「大鵬」と名付け、その名の通り、大鵬はたちまち昇進して第48代横綱となりました。当時は、「巨人、大鵬、卵焼き」と言われましたが、大鵬本人は天性の資質と評価されることを嫌い、「僕は天才ではなく、努力してはい上がる努力型です」と繰り返したとのことです。

高校時代に古文や漢文を勉強しなかったと書きました。今思えば、「なり」は伝聞や推定の「なり」だとか、断定の「なり」などと細かいことを覚えるのがいやでした。漢文は原文に記号をつけて読みます。その読む文が古文の読み方ですのでこれを解釈するのでは、ますます理解不能になります。返り点がどうのなどというのは無視して、漢文をもっと現代語に近づけて教えたら、もっと内容を理解できたのではないかなぁと60歳を超えた今になって思います。

なお、古文や漢文をよく勉強しなかった弘前高校の校章も大鵬です。