名山出名士(名山名士を出す)
此語久相伝(此の語久しく相伝とう)
試問巖城下(試みに問う巖城の下)
誰人天下賢(誰人か天下の賢)

陸羯南(くがかつなん)の直筆によるこの五言絶句の掛け軸は元長町の養生会松陰室に残されています。 ニュースレター33号でお知らせしたように、昨年5月に松陰室を訪ねた時にはそれを見ることができませんでした。 今年は陸羯南の生誕150年、没後100年にあたります。亡くなった9月2日を中心に、 8月末から9月にかけて陸羯南をたたえる記念行事が行われるようです。

その一環として、弘前市立郷土文学館では、明治の国内言論界をリードした陸羯南の足跡を振り返る企画展、 『政論記者 陸羯南 生誕百五十年・没後百年展』が、1月12日から12月28日まで開かれています。 羯南が使った机、名刺、新聞「日本」の復刻版、各種の著作物などが展示されています。

弘前市立郷土文学館に、私がずっと求めていた陸羯南直筆の掛け軸が展示していました。 写真ではこの掛け軸を何度も見ていましたが、本物を見るとまた格別です。 陸羯南の命が直接伝わってくるような気がしました。 訪れる人もいない展示室の中で、脳裏に焼き付けるだけでなく、何枚も自分で写真を撮りました。

この陸羯南展を企画した弘前市立郷土文学館の専門員をしている井上雅敬先生は、私が西目屋中学校の生徒だった時の恩師です。 北の文脈リレー展として井上先生は陸羯南の展示をしています。 先生は自分の名刺を陸羯南の企画展のコマーシャルに変え宣伝しています。 弘前市立郷土文学館は弘前市立図書館と同じ建物にあります。 地下駐車場も完備していますので、どうぞ、時間を作って郷土文学館を訪ねてみて下さい。

新聞報道などを見ていると残念なことがあります。この五言絶句を、「名山詩」と呼んでいることです。 この漢詩は、『誰人天下賢』が最も重要で、陸羯南の言葉はこの5つの漢字に込められています。 「名山名士を出す」のは、久しく相伝わっているのであり、『名山出名士』は陸羯南の言葉ではありません。 井上先生に伺っても、高校の恩師である内海康也先生に伺っても、『名山出名士』が誰の言葉なのかは分からないようです。 これを「名山詩」と呼んでいることを残念に思っています。口調はよくありませんが、『天下の賢詩』とでも言って欲しいものです。

和田町に住む泉谷説孝さんから、狼森にある石碑の拓本を頂きました。 泉谷さんは拓本が趣味で、陸羯南の石碑の拓本を作っていたのです。 拓本は、版画のように紙に実物を刷り込みますので、かなり大きなものでした。 大き過ぎて、羯南の署名の部分が別に作られていました。 早速、額縁店で大きな額に入れてもらいました。医院の中に展示していますので、ご覧下さい。

開業医をしているといろいろな人との出会いがあります。 ニュースレターでいろいろなことを書いていますので、それに関連した人たちの話を聞かせてもらうことがあります。 関連する資料を貸して下さる方もいらっしゃいます。 泉谷さんのように、このような作品を持ってきて下さる方もいらっしゃいます。 開業医をしていて、ほんとに良かったなと思う瞬間です。