弘前高校の現在の教育方針の底には、「天下の賢」の思想が強く流れています。

弘高校長矢本嘉則先生と石倉金庫先生の「天下の賢」

その基になった、最後が「誰人天下賢」で終わる「名山詩」と呼ばれている陸羯南直筆の掛け軸は、元長町の養生会にあります。 この五言絶句は弘前高校の書道教師であった石倉金庫先生によっても書かれています。 昨年から務めている学校評議員として弘前高校に2回ほど行く機会がありました。 その時に、石倉金庫先生の筆になる書が、少なくとも2つあることが分かりました。

私は、平成18年5月の連休に、旧制弘前中学校の校舎だった鏡ヶ丘記念館で石倉金庫先生が書いた「天下の賢」の書と出会いました。 私は見たことがなかったのですが、友人の話では、弘高の校長室には石倉金庫先生の筆になる「天下の賢」の書があるとのことでした。 私は、鏡ヶ丘記念館で見た「天下の賢」と、校長室の「天下の賢」は同じものだと思っていたのですが、これが間違いでした。

今回、弘高の校長室にある「天下の賢」の書を見た時に、前に鏡ヶ丘記念館で見たものと違うことに気づきました。 家へ帰ってから前に撮った写真と比べてみると確かに違いました。校長室の「天下の賢」は、複製が作られ廊下に飾られていました。 弘高の生徒は複製を見ていることになります。

「鶏肋抄」の中の129から146ページが「天下の賢」で、講演日が昭和43年11月と記されている

こんなことが分かったのと同じ頃、私が高校時代の校長だった小田桐孫一校長の講演集である「鶏肋抄」が、 青森市の古本屋に1冊あることが分かりました。たまたま、ある本を捜していた時にインターネットで見つけたものです。 私は1冊持っていますので必要なかったのですが、古本屋に積まれているのをそのままにしておけなくて買って来てしまいました。

昨年12月に、沢田内科医院ニュースレター集「鶏肋その2」を発行しました。 「鶏肋」の読み方が分からないからと、電話を何通かいただきましたし、診察室でも読み方を聞かれたことがありました。「けいろく」と読みます。 鶏の肋骨です。弘高で石倉金庫先生のもう一つの書と出会ったこと、「鶏肋」と名付けた沢田内科医院ニュースレター集を発行したこと、 さらに、古本屋で「鶏肋抄」を見つけたこと、いつも心の中に「天下の賢」がある私には、何となく偶然とは思えない出来ごとでした。