名山出名士 此語久相伝
試問巖城下 誰人天下賢

『誰人天下賢』はこの五言絶句の結語です。 私は、高校時代から『天下の賢』のことが頭から離れませんでした。 私は高校卒業後も中央へは出て行かず、ずっと弘前で生活していました。 天下第一等の人物という自覚は全くありませんでしたが、 自分なりの『天下の賢』になろうといつも思って生きてきました。

小田桐校長によると、この五言絶句の特徴は、『結びが反問の形になっているところに着目しなければならない。 反問の形になっているのは、「これまで岩木山の下に天下の賢というに足る人物がでていないとすれば、 これから出なければならぬ。郷土の青少年たちよ、それを目指して努力せよ」、 という期待と鞭撻の気持ちが言外に籠められていると考えられるからである』、ということだそうです。

この五言絶句の解釈の一部を『鶏肋抄』から引用します。抜粋ですので、論理が飛躍しているところもあります。 文字はそのままとしました。

天下の賢はいうまでもなく天下第一等の人物のことである。 だから、いくら待望してもそうざらに出るものではない。 資質や生存環境がちがうから、われわらは孔子やソクラテスそのものになれるはずはない。 が少なくとも孔子的・ソクラテス的には生きられるのである。 誰れ人でも天下の賢・天下第一等の人物になれるのだ。ただ、なかなかなれないというだけのことである。

ところで、天下の賢・天下第一等の人物についてのイメージは人によってちがう。 えらい政治家が天下の賢と見なされた時代があった。 名高い将軍が天下の賢としてもてはやされた時代もあった。 えらい聖職者や学者が天下の賢とみなされた時代もあったし、 名高い実業家や技術者が天下の賢としてもてはやされた時代もある。 しかしながら彼らはほんとうに天下の賢というに値したかどうか。 いうに値した人もあり、いうに値しなかった人もあった。

天下の賢は社会的地位や所得などとは直接なんらの関係もない。 ということは、いかなる社会的地位にあろうともいかなる所得であろうとも高くこれをこころざせば、 誰れ人でも天下の賢になれるということを意味する。 どんな社会的地位であろうとも、どんな所得であろうとも、 自分が居なくては物事が渋滞して困るような人になろうとすることである。 地方にあっても、大都会にあっても、一隅を照らす人として生きることである。 (中略)われわれひとりひとりが地味で、寂しげな、しかも大いなる天下の賢を選ぶしかない。 そしてこの道はすぐここにあるのである。
(以上、抜粋引用)

小田桐校長は、『天下の賢』とは、その人がいなければ、世の中の歯車が回らないような人、 世の中の一隅を照らす人、なのだと説きました。 陸羯南が郷土の若者に呼びかけた本来の意味とはちょっと離れています。 俗世間でいう天下第一等の人物には誰でもなれるものではない。 しかし、世の中に欠かせない人、世の中の一隅を照らす人には誰でもなれます。 『天下の賢』の解釈は教育者としての配慮だったのでしょうか。

『誰人天下賢』の扁額は私が高校1年の時に掲げられましたので、 38年間、1万人以上の弘高生を見守ってきたことになります。 しかし、私の医院の外来に受診する弘高生に尋ねてみても、この扁額のこと、ましてや、 『誰人天下賢』の意味するところを意識している人がほとんどいなかったのにはちょっとがっかりしています。

私は小田桐孫一校長と直接お話をしたことはありません。 しかし、これまでの私の人生で最も影響を受けた人たちの中の1人です。 多分、私と同年代の弘高生は、かなりの人たちが私と同じ印象を持っているのではないかと思います。 「規律ある自由」、「持って生まれた物を深く探って強く引き出す人」など、 小田桐校長の声は今でも耳に残っています。 教育は目に見える成果を上げることは難しいですが、人の生き方に大きな影響を与えることは間違いありません。

養生会に関しては、伊東内科小児科に勤務していた石川の工藤ミヨさんから、 『養生会百年史』(平成6年発行)を貸していただき、詳細を知りました。 養生訓については話を聞いたことがありましたが、この本の中で、 小田桐孫一校長自身が養生会の会員であったことを初めて知りました。 小田桐校長は、養生会の松陰室で陸羯南の漢詩、『誰人天下賢』と出会ったのでしょうか。 そして私たちに伝えたのでしょうか。今は、もう、確かめようがありません。

(平成18年5月6日記)

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